今週1週間トレードをおやすみしていました。
実は、先週の土曜日に祖母が亡くなり九州の実家に帰省していたからです。
強吉にとって祖母はお母さんのような存在でした。
というのも、小さい頃に親父の躁鬱病をきっかけに両親が離婚し、親父と祖母に引き取られ幼少期から高校卒業までの間、息子のように育ててくれたのが祖母だったからです。
正直な話、躁鬱病で入退院を繰り返していた父は思春期の強吉の意見には全て否定的だったので、父よりも理解を示してくれていた祖母の方が好きでした。
祖母は50代後半から2回目の子育てを始め、60,70代になっても朝から夜まで旅館のアルバイトをして生活を助けてくれていました。
強吉が中学生になってからは毎日朝お弁当を作ってくれて、参観日には必ず祖母が来てくれました。
当時は、みんなお母さんが参観日に来てくれている中で自分だけ祖母だったことが恥ずかしくて、コンプレックスだったことを今でも覚えています。
昔はそんな祖母によく反発していたし、喧嘩もしていました。
しかし高校を卒業する日、親子が教室に集まっての最後のホームルームの時に、人生で初めて祖母への感謝の気持ちを発表したことを今でも覚えています。
その時涙が止まらず言葉に詰まりながらも祖母の方をみると、自分以上に号泣していた祖母がいました。
そして、高校を卒業し専門学校に通うようになり一人暮らしを始めてからは、年末年始や夏休みなど年に数回しか会わなくなり、東京に来てからは数年に一度帰省する時に会うぐらいでした。
10年以上が経過し、最後に元気な祖母に会ったのは3年前の2018年。
その時に二人で撮った祖母との笑顔の写真が遺影になるとはその時は思ってもいなかったです。
2019年ごろから、祖母は認知症になってしまい昨年の2020年に電話した時には強吉のことを覚えていないような様子でした。
時間や距離のせいか、祖母に対しての感謝の気持ちが薄れていたのだと思います。
そのことに気付いたのは、先週の土曜日に九州へ向かう飛行機の中でした。
その前の週に、容体が悪くなっていると叔母から連絡があったので病院に確認したところ
ご飯が食べれないため鼻から栄養を取ってる状態とのこと。
しかし、うまく栄養を取れずそのまま肺に流れて肺炎を起こしており、尿も出なくなってきていると説明を受けました。
この状態を乗り越えたら、胃瘻の手術と心臓にペースメーカーを入れる予定だということも聞いていたのでなんとか回復してくれたらいいなと思っていたのですが、先週金曜日に危篤との連絡があり翌朝すぐに飛行機に飛び乗りました。
なんとか、生きている間に祖母に会いたいと祈りながら東京から祖母の病院までの3時間を過ごし、その願いが通じたのか意識はないものの息をしている祖母に会うことができたのです。
叔母から、「あなたに会うために待っていたんだと思うよ」と言われた時、
祖母に言われた言葉がフラッシュバックしてきたのです。
「人様に迷惑をかけるようなことをしてはだめだよ」
「あなたが結婚するまでばあちゃんは死なれないわ」
「無理だと思ったらいつでも帰ってきていいからね」
数々の点滴や注射でアザだらけの右手を必死に握りしめ、祖母の耳元で涙を浮かべながら
感謝の言葉を伝えました。
しかし、反応はなく浅い呼吸を繰り返すだけでした。
コロナ禍ということもあり、病院には基本的には入れないので長居はせず一旦帰宅し様子を見るということになっていたのですが、その夜に息を引き取りました。
享年92歳でした。
祖母は本当に最後まで身内に気を使ってくれたのだと思います。
コロナが少し落ち着いた時期でもあり、その前の週に腰の手術を終えた従兄弟も叔母と一緒に駆け付けることができ、強吉の到着も待ってくれていたのです。
直前まで入院していた父も退院し、みんなが揃ったその日に旅立ちました。
そして葬儀までの間、祖母と過ごす最後の夜に叔母から今まで知らなかった祖母の話を聞きました。
祖母は6人兄弟の末っ子で、船頭の家に生まれたそうです。
当時満洲へ日本兵を送るなど仕事がたくさんあり、どちらかというと裕福な家で育ったとのこと。
その後、戦争で2人の兄を亡くし戦争の恐ろしさも経験しましたが周りからは裕福な祖母の家庭を羨む声が多かったそうでした。
そのことについて生前に祖母は叔母に対して、若い頃にたくさん贅沢をさせてもらったが、人生の後半でその分たくさんの苦労をすることになったと言っていたそうです。
というのも、祖母は祖父とお見合いで結婚するのですが祖父は亭主関白のお手本のような人だったので、毎日祖母に対して厳しく接していました。
晩酌のお酒と手作りのおつまみ、そして必ずそこにマグロの刺身を用意しなければならず、出先でもマグロの刺身が売っていることを確認しなければいけませんでした。
祖父には絶対服従なのですが、祖父はお酒、タバコ、ギャンブルと荒れた生活をしていたので祖母は本当に苦労したそうです。
その話を聞きながら、叔母ではなく祖母から直接話を聞きたかったと切に思いました。
そして、その後葬儀を終えて火葬をおこない、死後の手続きなどもあり忙しい数日間を過ごしていたのでゆっくり祖母のことを考える間も無く東京に帰ってきました。
この数日を振り返って、素直に感じたことは
「会える時に、大切な人と会っておくこと」
です。
人生は何が起きるかわかりません。
今回のコロナで大切な人と会うことができなくなった方も多いと思います。
しかし、本当に会えなくなってしまってからでは後悔が残ってしまいます。
また、会える時に感謝を伝えることも忘れてはいけません。
「ありがとう」
その一言が、お互いの人生をより良いものに変えてくれます。
そして、そのありがとうにお金を使うことで人は幸福を感じることができるのではないでしょうか?
今回祖母は自身の死をもって、強吉に人生の勉強をさせてくれたような気がしています。
何のために生きていくのか?
この難しいお題を解くための方法を今回教わりました。
ありがとうばあちゃん。
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